奮闘日記 (2002/08/25)

 

『サヨナラ、学校化社会』(上野千鶴子・太郎次郎社)という本を読みました。偏差値主義を内面化した優等生には明日はないとか、学歴社会は似非平等社会での敗者を納得させる仕組みだとか、これからの時代は異見を持った情報の生産者たれとか、いろいろ面白かったです。求められる人材が変わってきているのか、教育に関する議論も盛んです。

実は、その人の好きなものが強烈に伝わってくる人(というか、だいたい愛憎相半ばしているのですが)に私は憧れているのです。そんな人に会うと圧倒されてしまいます、かなわないなぁと思います。「あなたは好きなことを仕事にしているじゃない」とか、「好きな本に囲まれて、好きな音楽をかけて、たまに店内にコーヒーの匂いなんかさせちゃって、もう天国ね、ねぇ、そうでしょう?」なんて言われると、曖昧に笑ってやり過ごしてしまいます。

私も学校での成績は悪い方ではなかったので、どちらかと言われれば周りからやれと言われたたことを器用にこなすタイプの人間かも知れない。数え切れないくらいの本に毎日触れながら(その店ではきわめて多くの様々な人たちの要求に瞬時に応える必要がある)、最近良い本読みましたか?という質問に窮してしまい、コレはいかんと町の小さな本屋に移ってはみたものの、結局今も同じ質問にそれほど自信を持って答えているわけでもない。これって、環境のせいではなくて、自分のせいなのでは?

好きなことがはっきりしている人に憧れると書きましたが、好きなことだけで生きていけるか?と言う問題もあります。本屋なら、売りたいものだけで食えるか?

スペースの都合で品揃えを絞ることで、結果的にお客さんをある程度限定することになっても、 本屋の仕事は店の棚を自分の本棚にすることではなく、あくまでお客さんが品揃えをしている点はどの店も変わらない。売れなくちゃ話にならないんですから。かろうじて限定の仕方に自分の意志が入るけれども、それだって地域や客層、流行り廃りに左右される。そういった地味な作業に加えて、「お店のお薦めを知りたい」「掘り出し物を教えてくれ」という声にも応えていく。

地味な作業から生まれた売上と、個性的な仕事から生まれる売上。夢として語られるのは後者であることが多いですが、現実は前者あっての後者。しかし今後はどちらかだけでは厳しいのもまた現実。大切なのはバランス、などと言っては優等生過ぎますね。ももんが通信100号にして、まだまだ迷い続けます。

●千駄木・往来堂書店
●笈入 建志(おいり けんじ)